1. 「お友達になりたい」

「お友達になりたい」

最終更新日:2014.11.20

先日、「学校の先生のための博物館生き物講座」と称して、学芸員講座を開催した。学校の先生方、特に小学校の先生方をターゲットに博物館と学校の連携を模索したかった。それには訳がある。

  •  

  • バックヤードの収蔵庫をご案内

    バックヤードの収蔵庫をご案内

  • 常設展示室をご案内

    常設展示室をご案内

 “理科離れ”とは言い得て妙な言葉である。長年使い古された割には死語にならない。そして、それは、時として非常に現実味を帯びて迫ってくる。たとえば博物館では毎月ひとりの学芸員が担当して、学芸員講座と文化講座を持ち回りしている。学芸員は11名いるので、ほぼ1年に1回ずつ学芸員講座と文化講座を行うことになる。文化講座では担当分野の専門家をお呼びしての講演を、学芸員講座では自らの研究等を元に講演を行うのが基本である。講座では、歴史分野、特に琉球王国関連の催しは人気の的で、定員オーバーは当たり前、他の人文系(美術工芸、民俗、考古)の講座も、いつも満席に近い。ところが、自然史系の講座では、必ずといっていいほど閑古鳥が鳴く。もちろん魅力ある講座を設定できない自分にも問題は大いにあるのだが、それ以上に、一般県民のニーズの壁は厚い。これを理科離れというのはうがちすぎだろうか。
 片や、夏休みが近づくと、子どもたちを中心に昆虫採集だのやんばるの生き物の話だのと生き物関連の知的ニーズが高まり、学校からの出前授業の依頼が増える。夏休みの昆虫採集は、昭和の時代から連綿と受け継がれた、誰もが通る通過儀礼とさえいえる。このギャップを私なりに解釈してみた。

 中高の理科・数学教師をのぞき、教員は基本的に“文系”出身者で占められている。小学校は特に専門性が求められる職場ではないので、理系の出身者は希少である。自分があまり興味がないものを面白おかしく子どもに伝えることは困難だ。しかし、理科離れという言葉が横行している以上、何とかしなければならない。だから理科も一生懸命教える。聞いた話では、実験を行う時には、綿密に前準備をして、予備実験をして臨む。それは「失敗」しないためだという。出前授業で専門家を呼んで話をしてもらえるのなら、より、子どもたちのニーズに応えられるだろう・・・。実にまじめである。そう、学校の先生になろうなどという人はそもそもまじめが当たり前なのである。だから、いつの頃からか、理科(科学)は特別なものになってしまった。ある種のマニアックな人たちが行う高度な技術が必要であるかのような印象を与えてしまった。

 ここで、私は思う。そんなに肩肘張らなくても、理科は(科学は)もっと楽しい、気楽なものではないのか。実験なんか、むしろ失敗した方がいい。なぜ失敗したのかを考えて、それを検証する実験を考えることが理科の楽しみなのだから。予備実験なんかやらなくったっていい。時間のむだではないか。授業の中で、子どもたちと一緒に楽しめばいい。
 出前授業を設定して専門家が来ても、1年に一回では忘れてしまう。むしろ、気軽に博物館へ行き、学芸員と話をしたり展示を見て考えたりすればいい。そんな道筋を付ければ、あとは自然に学校と博物館が繋がっていくのではないか。お手軽で気楽な理科を、もっと一緒に楽しむようになれば、それが子どもたちにも伝わり、「理科離れ」は死語になっていくのではないか、と。

 だから、初めに戻って声を大にしていいたい。
 「学校の先生方、お友達になりましょう!」

主任学芸員 山﨑仁也

シェアしてみゅー

TOP