1. 沖縄の貝器文化を探る

沖縄の貝器文化を探る

最終更新日:2014.10.30

沖縄の遺跡からは、古代の人々が使用した土器や石器といった道具のほかに、貝器(かいき・ばいき)と呼ばれる、貝殻から作られたさまざまな道具が発見されています。今から100年ほど前に、荻堂貝塚(沖縄県北中城村)を発掘した東京帝国大学の松村瞭博士は、「各種の貝器は海産物豊富の為めとしても、兎に角他地方貝塚には稀れなる器具であつて、少くとも一特色に数ふべき」(「琉球の貝塚」1920年)と述べ、沖縄の貝器の豊富さに注目しています。  貝の腕輪やビーズなどの装飾品は、九州以北の貝塚からも数多く発見されていますが、獲物を仕留めるための矢じりや各種の加工具、釣針、網のおもり、容器、魔除けに至るまで、あらゆる生活の道具に貝が使用されている点は、沖縄の先史文化の大きな特徴と言って良いでしょう(図1)。

図1 いろいろな貝器(縄文時代)

図1 いろいろな貝器(縄文時代)


実は最近、こうした貝器の歴史が、旧石器時代にまでさかのぼることがわかってきました。当館が発掘調査を行っている沖縄島南部の南城市サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷内)では、日本で初めて、約2万年前の旧石器時代の地層から、人骨や淡水産貝(カワニナ)、甲殻類(モクズガニ)などの動物遺骸とともに、海産貝を利用した貝器が発見されています。 サキタリ洞遺跡から発見された貝器には、(1)マルスダレガイ科の二枚貝を扇状に加工した工具(図2)、(2)クジャクガイを利用した工具(図3)、(3)ツノガイや小型の二枚貝を利用した装飾品(図4)、の3種が含まれています。

図2 マルスダレガイ科の二枚貝を扇状に加工した工具

図2 マルスダレガイ科の二枚貝を扇状に加工した工具

 
図3 クジャクガイを利用した工具

図3 クジャクガイを利用した工具

 
図4 ツノガイや小型の二枚貝を利用した装飾品

図4 ツノガイや小型の二枚貝を利用した装飾品


(1)マルスダレガイ科の二枚貝は、その多くが、現在は沖縄近海には分布せず、より北方に分布するマツヤマワスレを利用したものと考えられています。このことは、約2万年前の氷河期の沖縄周辺の海水温が、現在よりもやや低かったことを物語っています。扇状に加工された二枚貝の一端には、人為的に打ち欠いた加工痕が見られます。また、この加工痕が見られる部位に、使用に伴う磨滅・光沢・傷痕(使用痕)が見られるものもあります。

図5 マルスダレガイ科に見られる加工痕(上)と使用痕(下)

図5 マルスダレガイ科に見られる加工痕(上)と使用痕(下)


(2)のクジャクガイは、素材の形状をそのまま利用したもので、一端に使用に伴う磨滅や傷痕(使用痕)が見られます。(3)の装飾品は、管状を呈するツノガイや、人為的に孔の開けられた二枚貝で、特にツノガイは縄文時代以降にも装飾品としてしばしば利用されています。これらは、紐を通して首飾りや腕輪として使用したものと考えられます。

図6 クジャクガイに見られる使用痕

図6 クジャクガイに見られる使用痕


不思議なことに、サキタリ洞遺跡の旧石器時代の地層からは、石器がほとんど発見されていません。どうやら、沖縄の旧石器人は、石器をあまり必要としない生活を送っていたようです。
なぜ旧石器時代の沖縄では、他地域に見られないこのような個性的な貝器文化が花開いたのでしょうか。その理由の一つとして、沖縄では、石英やチャートなど、石器に適した堅い石が取れる地域が、非常に限られていることが挙げられます。石英やチャートの産地は、サキタリ洞から30~50kmほど離れており、それらを入手するためには、はるばる沖縄島北部まで遠征する必要があります。
また、沖縄では九州以北とは異なり、中大型の動物相が貧弱で、旧石器時代には二種のシカ類(リュウキュウジカ、リュウキュウムカシキョン)のほか、イノシシが分布していた程度です。このため、狩猟や獲物の解体のための鋭い石器が、あまり必要とされていなかった可能性が考えられます。実際、沖縄では、縄文時代の遺跡からも狩猟や解体のための石器はほとんど発見されていません。
沖縄の貝器文化は、沖縄固有の自然環境に適応した人類が生み出した、個性的な文化だったと言えるのではないでしょうか。

主任 山崎真治

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