武芸洞の発掘2

最終更新日:2009.01.15

石棺墓発見前の状況(中央の人物の足元に石棺墓が埋まっている)

石棺墓発見前の状況
(中央の人物の足元に石棺墓が埋まっている)

石棺墓の人骨

石棺墓の人骨

考古学的な発掘では普通、どこにどのようなものが埋まっているのかを予測しながら調査していきます。むやみやたらに掘っているわけではありません。しかし、時には予想もできない意外な発見もあります。

今回、洞窟西側の開口部に設定した別地点の発掘では、地表面のすぐ下から火を焚いた炉の跡がみつかりました。その周辺の調査をすすめていたところ、大きな平たい石が2つ並んで出てきました。どうも自然に運ばれてきたものではなさそうです。不審に思いながら、石を取り外すと、何とその下から人間の頭蓋骨が発見されたのです。

周囲を広げて調査してみると、地面に掘った穴の中に石を組んで棺とし、その中に遺体を葬っているようです。このような形のお墓は、石棺墓(せっかんぼ)と呼ばれていて、縄文時代の終わり頃から弥生並行時代頃に見られるものです。武芸洞の石棺墓からは縄文時代晩期(約3000年前)の土器が見つかっていて、その頃に作られたもののようです。沖縄県で洞窟の中から石棺墓が発見されたのは、今回が初めてでした。まさに、予想もしないものが思いがけず発見されたのです。3000年も前のお墓が、地表面のすぐ下から発見されたことも驚きです。石棺墓の石の一部は、地表面に露出している状態でした。石棺墓がつくられてから3000年間、武芸洞の中は土砂が流れ込むこともなく、当時のまま保存されてきたのでしょう。

しかも、乾燥した場所に埋まっていたからなのか、石棺墓内に埋葬されていた人骨は、3000年も前のものとは思えないほど、大変保存状態の良いものでした。刷毛や竹串を使って人骨を掘りだしていきます。どうやらうつ伏せに葬られているようです。しかも、頭のてっぺんからつま先まで、欠けている部分はほとんどありません。骨盤の形から見て、人骨は小柄な男性のもののようです。

人骨の状態を写真や図に記録した後、人骨を取り上げていくと、さらにもうひとつ発見がありました。左腕のまわりから、小さな巻貝製のビーズがみつかったのです。ビーズは直径4mm程度で、真ん中に2mmほどの穴が開いています。この穴に紐を通して、ブレスレットにしていたようです。ビーズは全部で12個みつかりました。貝のビーズはこれまでにも県内各地の遺跡から発見されていますが、貝のビーズでできたブレスレットを身につけた人骨は、沖縄では今回の発見が初めてです。発見されたビーズの実物は、現在開催中の博物館企画展「沖縄考古学ニュース」の中で展示しています。また、石棺墓の現地は「ガンガラーの谷」ツアーコース内で見学することができます。

今回の武芸洞の調査では、6000年前の爪形文土器や3000年前の石棺墓、ブレスレットを身につけた人骨など、たくさんの新たな発見がありました。ひとつの遺跡をごく小規模に調査しただけで、これだけの成果が得られるのは大変珍しいことです。また、平成20年11月29日(土)、30日(日)には現地見学会を開催し、南城市、八重瀬町の小中学生を中心に、400名もの方々に参加いただきました。多数のご参加、ありがとうございました。

武芸洞の発掘は、来年度も行われる予定です。来年はどんな発見があるのか、ぜひご期待ください。

最後になりましたが、調査にあたり、様々にご協力、ご援助いただいた関係各位に感謝いたします。

  • 貝のビーズの出土状況(矢印部分)

    貝のビーズの出土状況(矢印部分)

  • 発見されたビーズ(博物館企画展「沖縄考古学ニュース」会場内で展示中!)

    発見されたビーズ(博物館企画展「沖縄考古学ニュース」会場内で展示中!)

  • 現地見学会のようす

    現地見学会のようす

専門員  山崎 真治

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