孔子及び四聖配像

最終更新日:2008.01.30

孔子及び四聖配像

孔子及び四聖配像

「孔子及び四聖配像」は戦前に那覇の久米の孔子廟にあったものですが、沖縄戦で失われ、鎌倉芳太郎氏が戦前に撮影した写真でしか見ることが出来ないと思われていました。ところが一昨年の平成17年に見つかり当館に寄贈されました。
作品がいつ頃、描かれたか詳しいことは分かりませんが、琉球国王の肖像画に顔の描き方や衣裳の形がよく似ています。多くの人々に信仰されていたようで発見当初、作品は線香の煙で黄色くなっていました。
作品の上部には「萬(万)世師表(ばんせいしひょう)」と漢字が書かれいています。「萬世師表」とは「永遠に人々の模範を示す先生」という意味で儒教を開いた孔子のことさす言葉となっています。このことから、中央の人物が孔子であることが分かります。また、孔子をとりまく人物達も「昭穆」というルールによって画面奥の向かって右側に顔子、その対面が曾子、手前の右側に子思、その対面は孟子であることが分かります。曾子、子思、孟子はそれぞれ豊かにヒゲを蓄えた姿で表されていますが、三十二歳という若さでこの世を去った顔子はヒゲのない姿で描かれています。
近世琉球期において儒教は国の重要な教えで、儒教を学ぶ学校、国学と孔子を祀る孔子廟が首里と那覇に建てられ、琉球の士族達はそこで儒教を学び孔子を祀りました。私たちはこうした過去の絵画作品から近世琉球の士族達の学校の一端を見ることが出来ます。

学芸員  平川 信幸

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